(2011年/アメリカ)
ジャンルはよくある「伝染病パニックモノ」ですが、何気にキャストが豪華です。
『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(未鑑賞)『インセプション』『ミッドナイト・イン・パリ』のマリオン・コティヤール嬢は伝染病に立ち向かう女医役、その上司は『マトリックス』などで独特の存在感を放つマリオン・コティヤール。伝染病で早々に妻と幼い息子を失う父親はマット・デイモン。SNSで人々を扇動するのはジュード・ロウ。他にも『タイタニック』(未鑑賞)や『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』のケイト・ウィンスレット嬢など、「主役級」が目白押しです。
映画は、「2日目」など伝染病発生(感染)後の経過日毎のエピソードが積み上げられる形式で、特に誰が主役というわけではありません。それがまた「伝染パニックモノ」として功を奏しています。
というのも特定の誰かを主役に据えてしまうとどうしても「彼(彼女)が助かるか否か」が軸になってしまって、「じゃあそれ以外の人たちはどうなっても良いのか」という負のスパイラルを抱えてしまうことになります。
本作ではあくまで「こういう状況で人々はどう動くのか」を堅実にしてリアルに積み上げていくわけですが、そのリアリティを前述の主役級キャストが上質な演技で観せてくれます。
たとえばマット・デイモンは一見正気と狂気のどちらにも転がりそうな雰囲気なのですが、訳の分からない伝染病であっという間に妻と息子を失って、自分や娘もそうなるかもしれないという立場であれば、狂気の際でギリギリ正気を保つというのはきっとこういうものかもしれない、と。
伝染病ウイルスに次ぐヒールとして描かれているジュード・ロウにしても、きっとこういう人って出てくるんだろうなと思いますし、ある意味では「ヒール」なんかではなく、藁をもすがる人々にとっては「救世主」なのかもしれないですし。ここでもジュード・ロウの正気とも狂気とも取れる演技が秀逸です。
というわけで、「伝染病パニック」といういわば「なんでもあり」な設定でありながら、こうしたリアリティをしっかりと積み上げることによって映画の「説得力」がその重みを増している好例といえましょう。
ただあまりにもまとも過ぎて、オチであるラストの「1日目」が蛇足っぽくなっているのはご愛嬌ということで。
コメント
昔、危険な伝染病は他の動物から感染すると聞き、無闇に動物達とスキンシップはとらない事にしています。ウイルス、病原菌、寄生虫、世界は危険に満ちていて、目に見えないそれらが最も恐ろしい。油断せずスキを見せず「少し喉がイガイガしたら直ぐに熱燗で殺菌」を心がけています。
CPさんご指摘のとおり、伝染病パニックもので主人公にフォーカスすると、他の人を踏み越えてでも生き延びて欲しくなりますが、「みんな助かりました」ではギャグっぽいし・・・、この映画はそのあたりのさじ加減が絶妙だったようですね。
OJさんの感染対策を真剣に読み過ぎて、「百薬の長」のくだりを見逃すところでした。最近めっきり寒くなってきましたし、また夜な夜な「殺菌」を愉しむシーズン到来!ですね。
先般の『カリフォルニア・ダウン』なんて、ヘリ救護のプロが脇目も振らずに己の家族を助ける映画で、それに較べて本作はそれぞれの登場人物にきちんと体重が乗っていて見ごたえがありました。その分、観終わるとどっと疲れちゃったりしますが。ここは疲労回復のため「殺菌」・・・しちゃいますかっ!?
最近この映画のことをよく思い出します。あらためて現実に起こりうることを忠実に捉えた映画だったんだな、と。映画を超えるようなことが最近リアルに起こったりしていますが・・・コロナウイルス、早く収束して欲しいものです。
コロナウイルス…一説によればコウモリから感染したとの事ですが、改めて初期対応の大切さを感じます。皆パンデミック系の映画を見て勉強しよう!と思いきやお膝元のアメリカでインフルエンザが猛威をふるい既に12000人死亡との事。でも騒ぎにならないのは毎年インフルエンザで数千人死んでいるからだそうです。
「未知のウイルス」も「毎年の事」になれば気にならないって事でしょうか?慣れとは恐ろしいものですねw
エイズなんかもすっかり「ああ、そういうのもあったよなぁ」という感じですし、仰る通りなんでも慣れちゃうものですね。騒ぐときにはデング熱の蚊を代々木公園に封じ込めようとしたり、もうコントみたいな状態になるにもかかわらず。
今回も一瞬でマスクが売り切れながら、実際マスクをしている人の数はいつもとそんなに変わらないのも不思議です。家にストックして安心、ということでしょうか。
ウイルスもさることながら人間の方も怖いような。