(2016年/イギリス・アメリカ)
「ホロコーストの有無」を巡る裁判もの、という重いテーマの作品。実際にあった裁判に基づいているそうです。
攻め手「無し」派はその独特のマスクでヒールとして実に憎たらしく映画を引っ張るティモシー・スポール氏。『バニラ・スカイ』(2001年)、『英国王のスピーチ』(2010年)・・・うーん、覚えてないなぁ。
受け手「有り」派がレイチェル・ワイズ嬢。観ているときは全く気づきませんが、『ハムナプトラ』シリーズ、そして『ドリームハウス』(2011年)で007ダニエル・クレイグ氏の美人妻役にして実際に奥さんになった、あの方です。こんな人だっけ?
裁判ものの「どちらが勝つのか」に加えて、イギリスで訴訟されたが故に雇ったイギリスの弁護団と疑心暗鬼なワイズ嬢との確執も絡めてストーリーは進みます。
実に憎たらしく自信満々なスポール氏を理路整然とやり込めるワイズ派の老弁護士。観ている我々も溜飲が下がったタイミングで裁判官が言います。
「スポール氏はただ信条に基づいて発言したとは言えませんか?信条であればそれを否定することはできないのではありませんか?」と。ワイズ側に下がったシーソーがまたグラグラと揺れだします。うーむ裁判官、お前もヒールか。
しかしながら裁判の行方もさることながら、これも大事な指摘で、日本でよくニュースになる著名人の失言に対する「撤回しろ」攻撃を思い出させます。それこそ信条に基づいて発言したことでしょうから、それを無理やり撤回させたところで我々の溜飲を一時的に下げているだけで根本的には何も解決してません。我々に出来うることは政治家であればもう選ばないこと、役者であればもう出演作品は観ないこと、ミュージシャンであればもうレコードは買わないこと、しかないわけです。
さらに恐ろしいことには、一方的な「正義」で他人をやり込める構図はまさにホロコーストを実行した人たちと同じやり口ではないのか、と。
原題が「Denial(=否定)」であるこの映画の裏テーマはそこにあるような気がするのですが、ラストは裁判の勝敗が劇的に描かれて終わってしまったので、当方の思いつきもどうやら「Denial」だったみたいです。
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