(2015年/アメリカ)
邦題からして何だかアンニュイな恋愛モノだろうと予想しながらの鑑賞。
主演はギョロリとした目元のホリの深さと一見善良そうでいて実のところ何を考えているのかよく分からない宮川一郎太的芸風のジェイク・ジレンホール。『複製された男』(2013年)ではまさに普通の男と小悪な男の二役が印象的でした。
冒頭、運転していた奥さんが助手席のジェイクをよそ見しての事故死。いつも思うのですが、映画で運転手がよそ見していると観ているこちらがヒヤヒヤしちゃうんですね。頼むからちゃんと前を見てくれ、と。たいていは何事もなく過ぎるんですが、たまにこういうことになります。運転免許更新時の講習ビデオじゃないんですから。
閑話休題。すぐ横で奥さんが亡くなったのに何故か悲しさを感じないジェイク一郎太。そのかわりに身の回りの色んな物を壊し始めます。原題は「Demolition(解体)」ですからね。あまりにそのまますぎるタイトルとはいえ、この邦題も如何なものかと(たとえ劇中に出てくる言葉であったとしても)。
妻が死亡した病院の待合いスペースで商品詰まりを起した自販機のクレーム対応係の女性(あの『マルホランド・ドライブ』のナオミ・ワッツ!気付かなかった)とその息子(シャマラン監督『ヴィジット』の男の子かと思いきや、違ってました)との交流を通して、主人公が立ち直っていく様が短いカット割りを多用したスタイリッシュな映像で描かれます。
しかしあまりにアートっぽい撮り方なので、「あれ?今の何?」とか「これ、回想シーン?」とか、変に流れが分断されて分かりにくいという評価も多かったようです。
個人的には「妻の死をきっかけに強度の鬱を発症した男が、自身の『解体』という危機から(元のポイントではないにせよ)何とか戻ってこれた」という、いわば地上版『ゼロ・グラビティ』(未見ですが)なのではないかと。
鬱による「自己解体」を回避するには、この母子のようなニュートラルな碇(アンカー)ともいうべき存在が必要なのでしょうね。
ただ(繰り返しになりますが)、あまりにスタイリッシュな映像とボケボケな邦題のせいでその辺の説得力が希薄になっている、と。
コメント
原題と邦訳のギャップってありますよね。丁度先日逆パターンで「散り椿」という邦画の題名が「Samurai’s Promise」となっている映画を観ました。義理や筋を通す侍の話だったので、外国人に対しては分かりやすい訳だと思いましたが、やはり「散り椿」に生き様を重ねる感覚までは表現する事が出来なかったんだなと思いました。
しかしながら「Demolition」が「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」になるというのもすごいですねw 行われたであろう邦題検討会議の様子を覗いてみたいものです(笑)
「Samurai’s Promise」も凄いですね。「ほらな、アイコンタクトとかモノローグで済まそうとするから切腹沙汰になんねん。ちゃんと契約を巻物にでもして甲乙捺印して懐に入れとかんと」とかいう感じなんでしょうか。訴訟の国アメリカ的ビジネスライクさと、原題「散り椿」の侘び寂びテイストのギャップたるや・・・。
検討会議を見たいという意味では、昨日見かけたマクドナルドのポスター「ビッグマックJr」も然りですね。写真のバーガーはどう見ても普通のハンバーガー。想像するに「ビッグマックJrおひとつですね!商品は普通のハンバーガーと全く同じですが、ビッグマックJrですと20円お高くなります。宜しいでしょうか?」と満面のゼロ円スマイルの女子店員が言い放つのでしょう。これも日本人の理解を超えるアメリカンジョークの一種なのかもしれません。