ハードシンセに未来はあるか

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小学校だか中学校だかバンドを始めて、最初はドラムで高校くらいからキーボードに。最初に買ったのはなんだっけかな?心斎橋の丸善の2階にあったピアノ屋で親に保証人になってもらって40万のローンを組んだ覚えがある。YAMAHA DX21とKORG POLYSIXをいっぺんに買ったと思います。YAMAHAの音源TX81Zも使ってたな。で、DX21からDX7ⅡDか。次にDX7ⅡDとPOLYSIXをモモン氏のROLAND JW50と交換してもらいました。しばらくそれ1台でやってたのかな?覚えてないな。KORGの音源M1Rも持ってたな。YAMAHAのショルダーキーボードKX5と繋げてスタジオに入った記憶がある。で、ROLAND XP80ときて現在のXP30に至るという感じです。

要するに80年代、シンセサイザーが世に、というか高校生が新聞配達で頑張れば買えるレベルまで普及しだしたときからの古いお付き合いなわけです。

当時はシンセというのは単に、ツマミをウニョウニョ動かして音を出すマシーンでした。まぁDXシリーズはツマミすらなくて、まったく音の作り方が分からんかったですが。12kgくらいある、そのマシーンを必死で担いでスタジオに入って、他の楽器に混ぜてもらって音楽を奏でる、と。ギターとかベースとか「ヒョイ」と楽器を肩に担いでスタジオ入りしてるのに、なんでわしだけこんな苦労をしないといけんのだ!と思ったもんです。ドラマーなんかバチ2本だけですぜ。ボーカルなんて手ぶら!!

曲を作ろうと思えば、シンセと別にドラムマシーン(!)とシーケンサーを別に買って、シールドやらMIDIケーブルに絡まりながら、MTR(マルチトラックレコーダー)に多重録音するのみ。なんせ4トラックしかないので2トラックにステレオでオケをとってボーカルを録りながら残りの2トラックに録音して、最初の2トラックを消しながらコーラスを録音して・・・というような作業。今にして思えば「ひきこもり」状態ですな。

というわけで、シンセサイザー+ドラムマシーン+シーケンサー一体型の「オールインワンシンセ」が主流となり、だいぶ部屋もすっきりするようになりました。

MTRも録音媒体がカセットテープからMDデータとなり、HDD(ハードディスクドライブ)に。ビデオカメラがVHS→miniカセット→DVD→HDDになったのと同じですね。

コンピュータというのは、こういう音楽機材とは何故か平行線を辿っていて、やっとHDDのMTRでUSB経由でデータを保管できる、という程度でした。もちろんプロとかはコンピューターでガンガンやってたんでしょうけど。

Performerとかミュージ郎とかのコンピューターミュージックソフト、DTM(デスクトップミュージック)、今に言うDAWソフトは楽器屋に行くと片隅に置いてあって、「ふーん」という感じでした。私には関係ないと思ってたんですね。「コンピューターで楽譜が見れるからどうなんだ!」と。楽譜が全く読めないので関係ない、というくらいの認識です。まぁソフトも20万とか高かったですからね。

そうこうしているうちにコンピューターが「日用品」となってきて、ネットでラジオを聴いたり、ホームページを作って、曲をMP3でアップしたりしているうちに、「音楽機材とコンピューターの平行線はなんとかならんのか」と思い立って、双方のキューピッド役であるAudioCapture EDIROL UA-101(USBとMIDIをくっつけてくれるマシーン)を買ったら、オマケでDAWソフトSonar-LEが付いてきた、と。

それでもしばらくはシンセで曲を作ってたんですが、「ITのこのご時世、ちょっとはこういうのもやっとかんといかんだろう」と、コンテストに応募するという題目で、初めてDAWを使って作ったのが「リッキーサックの不思議な冒険Ⅳ」という曲です。初めての応募で見事に参加賞を受賞。賞品はライト付きボールペン。近所の公園で花火をしたときに重宝しました。

前置きが物凄く長くなってしまいましたが、今や曲作りは全てコンピューター。いわゆるシンセサイザーの音が欲しいときはソフトシンセ(フリーのソフトで、画面の『ツマミ』をマウスでいじれば音が作れる)。ROLAND JW50は押入れで縦になってます。永遠に眠れ。

というわけで、世間の写真屋さんの存続に危惧を抱くがごとく、個人的にハードシンセの未来について「どうやって生き残るのだろう」という懸念があります。

手元に最新のKORGカタログがあります。最初のページに「掲載製品一覧」というチャート図があって「円の中心に近いほど音楽制作向き。離れるほどライブ向きであることを表しています。」とある。円の中心はもちろん「要塞」OASYS。その周りに統一感に欠ける容貌の鍵盤が並んでいる。うち3機種はスピーカー内臓でカシオトーンちっくです。microシリーズもオモチャですね。ツマミがいっぱいの音源を鍵盤にくっつけたのがRADIAS、あとはMシリーズ復刻版2種。X50に至っては体脂肪も測れそうなルックスです。それはそれで需要があるかもしれないですけど。

未来が見えてこない。楽曲制作もシンセもコンピューターでやった方がはるかに便利なのです。その中で「鍵盤楽器としてのシンセサイザーが如何にして生き残っていくのか」というビジョンが見えない。ユーザーである電子鍵盤弾きが何を求めているのかというニーズが掴めていない。もちろん他の分野でもそうであるように、それは多様化しています。なので、それぞれのニーズに合わせて行き当たりばったりに製品化したらこうなりました、というのがこのチャート図であるようにみえる。

「増え続ける機材とコードたちをなんとかしてくれ!」というニーズに見事に応えた「オールインワンシンセ」。繰り返すようですが、これだけ消費者のニーズが多様化すれば、それに「はい、これです。」という回答はないのかもしれません。

では我々はメーカーに何を求めるのか。個人的な意見ですが、それはメーカーの「心意気」です。一本の筋を通して欲しい。八方美人に結局友達が出来ないように、あれにもこれにも応えようとするとメーカーのオリジナリティのようなものが希薄になってしまう、と。そもそも、オリジナリティを表現するために生まれたシンセサイザーのメーカーがそれを失ってしまうならば一体その存在理由はどこに求められるべきなのかということです。

チャート図の片隅にあるBX-3そしてCX-3。恐らく80年代のカタログから載っていたであろうコンボオルガン。これをみて、ホッとするんですね。これを最新カタログに載せ続ける。これが「心意気」です。これを絶対に忘れてはならんのです。

ROLANDの最新カタログ。最新機種には「SuperNUTURAL」という名のエクスパンション・ボードが積めます。現時点では2枚、「ドラム」「エレクトリックピアノ」。生ドラムやローズなどの名機をそのまま再現してチューニングしましょう、というものです。そこには「原点に帰ろう」というメーカーのメッセージがあります。最新技術を使って原点に帰る、というのがROLANDの楽器メーカーとしてのひとつのコンセプトにあるんですね。

音楽を、そしてシンセサイザーを愛するものとしてはこういうところに共感を覚えます。同じシンセサイザーメーカーでもYAMAHAというのは、90年代でコンセプトを失ってしまったのでカタログすら持って帰らない。TK人気におんぶに抱っこ、という。それはそれで別の問題なので、ここでは語るまい。

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