(2015年/イギリス)
ジャケ写がずっと気になっていた作品。ヒロインのアリシア・ヴィキャンデル嬢は絶対に観た顔だと思っていたのですが初見でした。
IT系企業のプログラマーが社長宅訪問企画に当選、ヘリコプターで山岳地帯に連れられ1週間かけてAIロボットの出来・不出来についてテストさせられる・・・というストーリー。
髭面社長が如何にも胡散臭くて、独特な緊張感が延々と続きます。それは主人公が味わっている緊張感そのもので、実にたやすく観客は映画の世界に引き込まれてしまいます。
何もかもが髭面野郎(だんだん悪口になってますが)の手の平の上なのでは・・・と主人公も観客も思いつつ、終盤やっと映画が動き出したと思いきや、なんとも言えない展開にあっけにとられたままエンディングとなります。
所謂、映画評論家の方たちには評価されるんだろうなと思ったら、案の定数々の映画賞を受賞しています。アカデミー賞で「視覚効果賞」受賞ということで、映像はどこまでもスタイリッシュですし、山岳地帯の森の中に建つ邸宅なんてアーティスティックなCM映像のようです。
でも(と言っちゃうわけですが)、あの映画の3分の2を占める緊張感は一体何だったんだ、と。緊張の糸が切れたあとの地すべりとがアンバランスな気がするんですね。
確かにスタイリッシュで綺麗なレストランで美しい料理だけれど、まるで味がしない、というような。「それも含めてスタイリッシュなんだ、味なんて生臭いものは排除すべきなのだ」ということなのかもしれないですが。
コメント
胡散臭い髭面社長以上に胡散臭い奴はいませんよね。そうじゃない人は髭面でも社長でもありません。そんな社長がアカデミー賞を受賞するとは・・・いや、髭面社長が受賞した訳じゃないですね。
AIロボのテストですか。人間のテストですらおぼつかないのに、これはかなり難題ですね。AIロボとして「ちょうど良い」感じってなんなのかが分からずに、凡庸すぎても優秀すぎてもNGにしちゃいそうです。
今や囲碁ですらAIに敵わないと言われているので、私が得意だった「80年代洋楽アーチスト一発屋縛り山手線ゲーム」でも負けてしまう事でしょう。でも「彼らの名前を答えた時に感じる郷愁」をポイントに加えるならばAIに勝てそうな気がします。
「AIロボとして『ちょうど良い」感じってなんなのか」というのはまさに仰る通りで、主人公も、観客も、リアルなAIロボを目の前にどうしていいか分からなくなっちゃうんですね。囲碁でもAI対決もそんなところがあるかもしれません。「AIを相手に本気出してると思われたらちょっと大人げないかも」とか。
「80年代洋楽アーチスト一発屋縛り山手線ゲーム」というのも実にニッチですね。
「・・・カルチャークラブ!」
「・・・ザ・ナック!!」
「それ、70年代じゃね?!」
とかやるわけでしょうか。これは確かに郷愁ポイント高いです。