セックス・アンド・ザ・シティ

Cinema

(2008年/アメリカ)

あんまりにもあんまりなタイトル故にずっと敬遠していた作品。しかしながら目を逸らせば逸らすほど何かにつけて目に入ってくるのが世の習い。観念して鑑賞。

冒頭からもう80年代のバブリーな雰囲気満載です。日本で言うならば「W浅野」を双子にして4人体制にしたようなノリ・・・どれも同じ顔に見えるこの人たちを2時間近くも見続けなければならないなんて・・・。

プロットもどうでもいいようなことばかりで、誰が結婚しようが別れようがコトに至ろうが(PG-12指定)こちらの知ったことじゃない。

写楽の描く美女を思わせるうりざね顔のキャリー(サラ・ジェシカ・パーカー嬢)の助手として雇われた大きな黒人の女の子の肌が見るからにハリがあって「若いってこういうことなんだな」と変なところで感心させられました。まぁ「フォース浅野」が全員アラフィフですからね。

というわけで最後までトレンディドラマのノリを貫き通したこの映画、最初はどの登場人物も「ちょっとしんどい人たち」だったはずが、ラストには全員「なんかいい奴ら」と思っている自分に気付いてビックリ。

この構図はどこかで・・・と思ってよくよく考えてみると、西加奈子さんの小説でした。「どう考えてもこの主人公は無理」と思っていたはずが、最後には「ああ何ていい人なんだぁぁぁ!」。登場人物が変わるのではなく、こちらの見方がいつの間にか変化させられている、というのは映画にせよ小説にせよ「物語(ストーリー)」の持つ力ですね。

この映画のキーワードは「Love(愛)」だと思うのですが、よく言われるようにその対極が「無関心」だとするなら、最初は4人の主人公たちに対して当方は「無関心」だったわけです。

ところが最後には彼女たちを好ましく思っているということは、この映画を通してまさに「Make Love」していたのだ、と(PG-12指定)。

というわけで本作が斯様なタイトルになるのも、むべなるかな。

コメント

  1. OJ より:

    この映画のタイトルは目につくので記憶にあります。私も目を逸らしながら生きてきましたが、CPさん観てしまわれたんですね!
    なるほど、無関心から関心へがLoveというならその通りですよね。昔北斗の拳で「愛がこんなに苦しいなら愛などいらぬ」と言って極悪人になった奴がいましたが、「関心を持つのがこんなに苦しいなら無関心になってやる」とも言い換えられる訳ですねw
    そう考えると、この映画はPG-12指定だけに、保護者が子供へその事を助言・指導するための映画ともとれますねw

  2. C&P より:

    自分で書いておいて言うのもなんですが、そんな高邁な内容ではちっともなかったかもしれません・・・。なんせ「性交渉とその街」、ですからね。思い出そうとしても、6か月クールのトレンディドラマを2時間に濃縮して一気飲みさせられたような印象しかありません。『北斗の拳』の極悪人の「愛」の振り幅の方が圧倒的です。
    ただ「関心を持つのがこんなに苦しいなら無関心になってやる」と言い換えてしまうと、何だか余計気になってしまいそうですが。「この箱は開けてはいけません」パラドックス。「絶対箱の中身なんて気にするものかぁぁぁぁ!!」・・・無理。
    いずれにせよ、この映画で以て子どもに愛のあり方を助言・指導するのはちょっとアグレッシブに過ぎるかもしれませんね。